前回は、初回ということで私が渡米に至った経緯を簡潔にお話ししたが、 今回は実際に渡米して間もない頃のリアルな話をしてみようと思う。
私が渡米したのは、2010年の12月。真冬だった。 ニューヨークの寒さはハンパではないことはご存じかとは思うが、 その年に感じた自分の体感はかなりのマイナス気温だった。 当時は不安8割、期待2割くらいだったであろうし、 自分の中の心細さが体感気温をグッと下げていたのだと思う。
ただ幸いなことに、 宿だけは日本人の友人が貸すシェアルームの一室を用意していてく れたので、 空港からまっすぐそのアパートメントへと向かったのを記憶してい る。どんな異国へ行っても持つべきものは友なのである。
以前にも泊めてもらったことがあったので、 時間こそ掛かったもののさほど迷うこともなく到着できた。
ブルックリン区のベッドフォード・スタイベサントというエリアで、ブルックリン内でもまぁまぁ物騒な地区ということで知られている。そして そこにしばらく住むうちに、あることに気付いた。というか勘違いをしたことがあった。
「今週はなにか仮装でもする行事があるのかな?」
初めて目にするユダヤ人の制服姿(普段着?)であった。ここでは残念ながら写真を載せることは割愛させていただくが、気になった方は検索すればすぐに出てくるので、一度見てみていただくとわかるかと思う。特徴的なモミアゲと大きな帽子、全身黒づくめで皆が本を読みながら歩く姿は衝撃的だった。信仰深く勤勉で真面目な民族の彼らの中には、地主をしている人たちが多い。私が9ヶ月ほどお世話になったそのアパートメントもユダヤ人街にあり、大家もやはりユダヤ人の方だったそうだ。
カルチャーショックの連続、次なるカルチャーショックはアパートメントの隣にあるガソリンスタンド。近くに夜間営業のコンビニ(こちらではデリと呼ぶ)がないため、スタンドがコンビニの役割を果たしているのだが、商品は全てブースの中にあり小さな小窓から中の店員に欲しいものを伝えお金と商品を交換するかたちだった。他にも、駅前にあるパパヤというホットドッグ屋も店内には店員を守るべく分厚すぎるガラスので仕切られ、お金と商品は回転式の小窓で交換し直接店員と客の手が触れることは無い仕組みになっていた。ここまでくるとさすがに、自分がかなりカルチャーの違う異国に住んでいるということに段々と気づいてきた。
完全に気付いたのは、ルームメイトからの「夜12以降は一人で歩いちゃダメだよ。」というさらっとした一言であった。(笑)
さすがにすぐには動けなかったが、約9ヶ月ほどでこのベッド・スタイ地区を離れ、いま現在住んでいるクイーンズ区内のジャクソンハイツという治安の良いエリアへと引っ越したのであった。
というわけで物騒な話はこの辺にして、次回は、ニューヨークでの仕事について話していこうと思う。それでは、また次回!
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